千葉大学園芸学部 花卉園芸学研究室

アルレット ルロア・グーラン
シャニダールのネアンデルタール人4号

Arlette Leroi-Gourhan (196?)
Le Neanderthalien IV de Shanidar
Bulletin de la Societe Prehistorique Francaise XLV (3): 79-83.


塚本達也・大森崇広
ver. 1.0  2000/04/06

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訳者から

世界に衝撃を与えた・・・ ルロア・グーランの論文(仏文)を全訳しました。

この論文は・・・ ネアンデルタール人が、埋葬に花を使ったという証拠を示しています。 

花とは何か・・・ という疑問に答えるために・・・ どうしても避けて通れない論文です。

申し訳ないのですが・・・ 現時点では・・・ 雑誌の発表された年が曖昧です。1968年だと思いますが・・・ 1963年の可能性もあります。

書式は・・・ 正式な論文形式ではなく・・・ 曖昧な表現を含んでいますので、訳者注を添えました。

内容は・・・ 私たちの専門を大きく外れており、誤訳の可能性もありますから、専門家からのご指摘を歓迎致します。

専門用語で翻訳できない部分は・・・ 英訳してあります。

原文はこちら → クリック

 

R. Soleckiは、1951年から1965年にかけて、何度も2つの遺跡の発掘調査を行った。

それらの遺跡は Shanidar および Zawi Chemi の近郊にある。

イラクの北辺で、トルコと境を接するあたりだ。

14Cで遺跡の年代を測定すると、16の違った年代が含まれることがわかった。

つまり、ウルム期には、さまざまなインダストリィが存在したのである。

彼は、すでに論文をいくつも発表し、主な発見、なかでも人骨に関する情報を提供してきた(Solecki, 1960; Solecki, 1961; Solecki, 1963)。


私たちは、堆積物のサンプルの花粉分析を行った。

その際、Shanidar の地層に含まれる花粉が少ないこと、そして Zawi Chemi 遺跡の地層がとらえにくいことの2点が障害となった。

が、それでも、当時の気候の解明に関しては、一定の成果をあげることができた(Solecki et Leroi-Gourhan, 1961)。

しかしながら、断片的な結果しか得られず、肝心要の同定が難しいため、さらに突っ込んだ論究を世に問うことはあきらめ、新しいデータを期待することにした。

私たちは次のように考えていた。

中東に別の遺跡を見つけよう。

Shanidar くらい地層が広く、それでいて花粉の量がより多い遺跡なら、もっと成果が上がるはずだ。

ところが、私たちはついていなかった。

10年もの間、そのような理想的な遺跡は発見できなかったのである。

そうこうするうちに、花粉のコレクションが充実してきた上、プレパラートの技術も進歩した。

Shanidar と Zawi Chemi の花粉は、中東で唯一、最後の旧石器時代に関係する花粉なのだ。

こういう経緯で、私たちは新しい論文を執筆することに決めたのである。


Shanidar 遺跡の地層は 14m。

そのうち 8m以上がムスティエ期のものだ。

そのすぐ上には旧石器時代の層が広がっている。

この層のことを、ここでは 「パラドスト期」 と呼ぼう。

そして、パラドスト期の上に、中石器時代、原新石器時代、次いで現世−新石器時代の層が、順序良く広がっている。

Shanidar の地層は、とてもきれいに分かれているので、それぞれの層を対応する時代と突き合せることが可能なのだ。

そこで、私たちは調査できるサンプルすべてから、新しくプレパラートを作ったのである。

あるものは花粉を含まず、また大多数のサンプルは、あっても量が少なかった。

ただ、私たちは、Shanidar の全層位から、およそ 30 のサンプルを採取していたし、Zawi Chemi のサンプルには十分な量の花粉が含まれていた。

おかげで、数千回もの同定作業を繰り返した末に、当時の植物相が見えてきた。

しかも、この見取り図はかなり興味深い。

新しく作ったプレパラートを、以前の結果と照らし合わせる一方で、いくつかの同定、なかでも、ナツメヤシの同定については、決め手がないのであきらめることにした。

全体の詳しいことは、あとで出す論文に譲るつもりだ。

この論文で扱うのは、研究で得られたまったく思いがけない結果だけに留めることとする。


Shanidar 遺跡の規模はとても大きい。

幅は 53m、深さは 40mにもわたる。

そのため、10分の1の面積分しか発掘調査していない。

岩の多い層が厚いため、発掘は難航した。

しかも、急がなければならないことが、往々にしてあったから、この作業は困難を極めたのだった。

Solecki 教授がうまかったのは、すべてのサンプルについて、採取地点の緯度経度を、いつも控えていたことである。

この論文で紹介するようなケースでは、それがいちばん大切になってくるのだ。


旧石器時代の地層を植物学的に調べたところ、どのサンプルも、細かいところまで似かよっていた。

ただし、これは湿気という要素を除いての話だ。

木の場合、特に湿りが目立つのだ。

草本に関していうと、わずかな変動は目に付くものの、終始一貫して統一性があった。

しかし、2つのサンプルだけは、他のとはまったく違うのである。

これらのサンプルも、植物自体は他と変わらないし、化石だって同じようなものだ。

しかし、数の比率が、他のサンプルのとまったく違うのである。

その2つのサンプルの場合、花粉は無造作に散らばっているわけではない。

花の咲いた状態で、土の中に挟みこまれたため、かたまっているらしいのだ。

そのような花粉のなかには、10個、100個と塊になっている場合もあれば、無傷のままのが、プレパラートに見つかることもある。

少なくとも8種の植物が、この塊から見つかった。

それでは、一体どうやって、これらの花は 15m ほどの洞窟の中に入り込んだのだろうか。

鳥やゲッシ目が運ぶことは想像できないし、糞石があるからとも思えない。

人が運んだとしか考えられないようだ。


私たちは、次の2点について研究を進めた。

すなわち、サンプルを採取した位置を正確に把握することと、植物を正しく同定することである。

例のサンプルは、「ShanidarW」 とメモされた、6サンプルのうちの2つだ。

今日まで、ネアンデルタール人の骨が、8体 Shanidar で見つかっている。

それらは、同じムスティエ期の地層でも、さまざまな層位から発掘されている。

上部の地層には、T号、X号、V号が横たわっていた。

14Cで測定した年代は、紀元前44,000年である。

数メートル離れたところを分析してみても、48,000年という結果が出ており、この層の年代を確証している。

一方、W号とY号は、もっと古く、その層からおよそ 2m 下方だ。

R. Solecki は、Shanidar のネアンデルタール人の死因は、地震による圧死だと述べたことがあるが、後に、彼は墓穴群の目の前に、自分がいたのだと気づいた。

人骨は小石に一部覆われており、インダストリーや獣骨、さらには木炭までもが一緒に埋められている。

そして、円形の区画のなかに納められた遺体が大部分だ。

これは、ネアンデルタール人W号の場合である (図1)。

図に「哺乳類の骨」と示した、小さな骨のなかには、幼児の遺骸や、ネアンデルタール人Y号の遺骨が含まれている。

なぜ、Y号の骨がそこにあるのかというと、Y号の発掘はまだ済んでいないからなのだ。


R. Solecki は、特にこの墓の土の性質に興味をもった。

それで、サンプルをたくさん採取してきた。

まず、墓穴の底面。

例の人骨が、身を横たえている土壌は、暗褐色で、硬く、粘土質だ(dark brown loamy soil overlying what looks like a dark organic soil)。

これに対し、骨の周りや上の層の成分は、もっと明るい色をした軽い土だ(loose brown sandy loam)。

表面の土から採った3本のサンプルについて、花粉分析をしたところ、次のことが判った。

つまり、暗褐色の土の層を除いた、いろいろな層から得られたものと、ほとんど変わらないのである。

ここで、それらのサンプルについて、説明しておこう。

まず、サンプル315。

小石の下にできた窪みから採取したもので、幾分、墓穴の中心から外れている。

また、サンプル271は、遺骨の中心部、しかも、骨の表面から採ったサンプルだ。

サンプル326は、271より、東側の同じ層から採っている。

以上のことから言えるのは、サンプルの成分となっている堆積物は、遺体の埋葬後、墓穴に溜まり、骨を包み込んだということである。


【訳注・ 以下の段落で「花」と言っているのは・・・ 「花の状態」にまとまった花粉・・・ のことであろう。】

一方、サンプル 313314 は、花をたくさん含んだ標本だ。

これらは、どちらも同じ層から採取したものである。

そして、その層とは、遺体が横たわっていた、暗褐色の層に他ならない。

また、サンプル 304 は、他のに比べると、量はさほどではないが、やはり、花を含んでおり、何よりも、313と同じくらい、種類が豊富だ。

事実、304 は遺体から 25cm しか離れていない。

対して、遺体の西側と東側から採られた、他の二つのサンプルは、68cm も離れている。

この場合、同定された植物の中には、短い茎しか出てこなかったものもある。

つまり、花粉のぎっしり詰まった塊の形で、遺体から離れた場所から、花を見つけるには、標本をたくさん集める必要があるのである。


石筍がたくさんできた層のあたりは、湿った土だ。

そこには、植物の断片が、無数に含まれている。

そのうちのいくつかは、同定可能だと思う。

例えば、その層から見つかる木本の小片。

これが、マツである可能性は、非常に高い。

同様の断片は、他のムスティエ期の標本でも見つかる。

しかし、この層の標本の場合、特に豊富に含まれているのだ。

サンプルが、豊富であること、土壌中の保存状態がよかったことが、その理由だ。


ネアンデルタールW号は、とても若い人間の遺体だ。

遺体の下に植物が敷かれたという事実が、明らかになった以上、できるだけ植物同定を推し進めてみたら、とても面白いはずである。

同定の作業は、花粉が多数あって初めて可能になる。

例えば、キク科の場合、1,000以上の花粉が必要だ。

W. van Zeist 博士が、Groningen で、この突っ込んだ研究を行った。

彼は、中東の花にとても詳しいので、「花の状態」で見つかった、主要な種を同定することができたのである。

彼によると、 ノコギリソウ1種 (Achillea type) ・黄花のキオン1種 (Senecio type desfontainei) ・ヤグルマギク複数種(含Centaurea type soistitialis) ・小さなユリ科の青い花1種(Muscari sp.)。


これらの植物は花卉である。

つまり、小さくても、色あざやかな花をつけるのだ。

ただ、6番目の種、すなわち Ephedra tp. altissima の場合は違う。

Ephedra の花は、とても小さいし、ぱっとしない。

そんな Ephedra が、なぜそこに置かれたのか、仮説をたてるのは難しい。

けれども、この木本のしなやかな小枝が、墓を飾るにふさわしく、敷きつめられたのだろう、という考えは、検討してみても良いだろう。

また、別の2種の場合、花粉量は多いが、同定には至っていない。

その他、注意すべきなのが、アオイ科の花粉である。

これは、いわゆる「花の状態」ではないけれども、非常に多く見つかっている。

そのアオイ科の花粉は、Althea 属(赤いタチアオイの仲間)のものだ。

しかし、その花粉は、今までのところ、個別に発見されてばかりだった。


以上に挙げた、さまざまな植物は、今も、実際に花を咲かせている。

それらは、5月から6月にかけて、ザグロス山脈を彩るのだ。

ただ、遺跡は、特に高地にあるため、ウルム期における気候の変動は、考慮する必要がある。

なにしろ、墓穴の標高は 822m なのだ。

けれども、14C年代測定と花粉分析を根拠に、次のように考えることもできるだろう。

Shanidar 洞窟の、ネアンデルタール人W号遺体は、50,000年以上そこに眠り続けていた。

そして、彼の埋葬は5月の終わりから7月初めにかけてのことであったと。


第1図

訳注: 図中のサンプル 304、313,314から「花の状態」の花粉がみつかった。


おしまい。