國分 尚のコンピュータ遍歴

ハードウェア編

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高校時代

1980-1983

初めて触ったコンピュータらしきものはカシオのプログラム電卓でした。FX-####(型番はもう忘れてしまいました。)という、まだ比較的大形の、表示が7(9?)セグメント蛍光管(LEDだったかも)のもので、ステップ数も30とか40ぐらいだったと思います。同級生が持ってた物なのですが、はまりました。それぞれの命令(と言っても四則演算と基本的な関数ぐらい)がアルファベットもどきのニーモニックになって表示されるのが魅力的でした(非生産的だけど)。しかも、確かIF文とGOTO文も使えたと思います。リモコンやラジコンは機械を操作すると言っても直接リアルタイムにしか出来ません。ところが、この「プログラム」電卓というのは何か命令を入れると、後から自分で勝手に動く。たとえそれが貧弱な計算式の連続であっても、とにかく、「命令」した通りに自分で動く。これこそが、機械をコントロールしているのだと言う快感がたまりませんでした。ここから私のプログラミングとの長いつき合いが始まったのです。確かこれで準ユリウス日を計算するプログラムを作ったような気がします。今でも、新しい処理系に出会う度にまず作ってみるのがこの準ユリウス日のプログラムです。

ほどなく、プログラム電卓の躍進が始まりました。その頃に別の友人が買ったシャープのEL-5100Sはこの時代の傑作ではないかと思っています。そのインパクトはあまりに大きく、大学に進学後も、実験データの統計処理用と言う名目で自分でも購入し、何と15年後の今でもまだ現役の電卓として私の机の引き出しに入っています。北米滞在時には華氏摂氏の変換プログラム(というほどのものでもないですが)を常に入れておいて、重宝しました。ところで、この電卓、最後に電池を替えたのはいつだったっけ?最低5年は交換していません。ノートパソコンもいずれはこのレベルに達してほしいものです。

それはさておき、高校時代に戻ります。次に出会ったのが、プログラム電卓の進化の必然とも言うべき、シャープのポケットコンピュータPC-1200?(通称ポケコン)です。部活の顧問の先生の持ち物だったのですが、ずいぶんといじらさせてもらいました。ここで、初めて本格的なプログラミング言語に出会ったわけです。BASICでした。今となって思えば、最初に出会った言語がもう少し構造化されていれば、後であんなに苦労はしなかったでしょう。とにかく、一応、プログラミングの初歩はこれで独学で覚えました。そろそろ、いろいろな雑誌にプログラムリストが載るようになっていて、とにかく訳も分からずその通りに打ち込んだりもしました。ゲームなんかはまだとても一人では出来ませんから、こうしたリストにお世話になりました。

さて、このプログラム電卓−>ポケコンの流れとは別に、マイコンピュータ(マイコン)即ちTK-80から8ビットパソコンへの系譜があることは皆さんご承知の通りだと思います。あっと、その前に、アメリカで一世を風靡したTandyのTRS-80などにもじつは触ったことがあるのですが(FX-####の友人のお兄さんが持っていました)、一度きりなので、これはおいておきます。で、マイコンですが、TK-80は実物は見たことがありません。雑誌の広告だけです。EL-5100Sの友人が持っていたと思うのですが、さすがに学校にまでは持って来ていませんでした。8ビットパソコン(当時はまだマイコンと言っていたような気がします。雑誌でマイコン/パソコン論争があったような気もします。)で最初に触ったのはシャープのMZ-80何とかでした。(何とかがやっぱり思い出せない。確かEだったような。Kかも。)シャープのこの系統はアメリカのPETの流れを汲む機械で、PRINT文中に特殊記号を使って画面消去やカーソル移動を行う個性的なBASICを載せていました。ディスプレイ、キーボード、テープレコーダが全て一体になっていて、取扱いが楽な機械だったことが印象に残っています。

大学時代

1983-1987

個人で所有していたのはカシオのFP-1100ですが、学校で使えた機械はPC-9800シリーズが増殖していった時代です。このころの8ビット機は百花斉放、どこのメーカーもシェア争いに必死で、いろいろとユニークな機械を作っていました。中でも白眉はこのFP-1100です。さすがに電卓メーカだけあって、変数型に倍々精度有効28ケタってのがあり、さらにすべてBCDで演算していたという変な機械でした。欠点はとにかく遅いこと。倍々精度を使ったら当然ですが、単精度8桁でも他社のものよりずいぶん遅かったです。個性的な機械だけに根強いファンが多くいて、「FP友の会」というユーザーグループがあったほどです。残念ながら、私は入会する機会を失ってしまいました。この会が編集した「100%活用法」という本は今のPowerBook改造系のサイトや出版物のように気合いが入っていました。私が思うに、あの頃FP-1100にはまった人で、PowerBookにもはまっている人というのが全国に数人はいるのではないでしょうか。さらに、「Last 1%」というガリ版刷りの小冊子が出まして、これを持って私のFP-1100の時代は幕を閉じました。

この時代の話はもう少し続きますので、おいおい書き足して行くつもりです。

アメリカ修行時代

1989-1996

もう、完全にMacintoshの時代です。はじめはPlus (1989年購入)、そしてPowerBook140 (1992年購入)、PB280 (1995年購入)と、大体3年に一度づつ買い足し(買い換えではなく)てきました。周辺機器もImageWriterIIから始まって、知る人ぞ知るThunderScan(ImageWriterのインクリボンの代わりに取り付けて、スキャナにしてしまう、画期的製品。一応400DPIの解像度がありましたし、OCRもできました。)やNECの最初のポータブルCD-ROMプレーヤー(ドッキング式で、インターフェース部をはずすと大きめのDiscmanぐらいでした。何と2倍速です。)、OKIのレーザープリンタ(GCC Technologyがベンダーでした。当然まだ300DPIです)などを次々に増やしていきました。ハードディスクもモデムも何度か買っています。

ソフトもあれこれそろえましたが、中心となるのは何と言ってもワープロとデータベース、WriteNowFoxBASE+でしょう。WriteNowはこれ以外のワープロは使いたくないと言うぐらい好きなのですが、日本語がだめなのと、世間とのデータのやり取りが面倒(不可能ではないにしても)なので、今では一線を退いています。しかし、英文の大きなテキストファイルをストレスなく編集できるのはこれだけなので、まだ使っています。最終バージョンは4.0なのですが、私が持っているのは1992年の3.0です。でもきちんと日本語OS9.1で動作します(コマンド-Wでウィンドウを閉じるとフリーズってのがありますが)。WriteNowはNeXTバージョンもあったし(というかNeXTのプレインストールソフトの一つでした)、一度はNeXT社が権利を持ってたはずなので、OS X版が出るのを期待しているのですが、そんな物好きは世界中で私だけでしょうか。Windowsのワードパッドに較べると5倍くらいいいソフトだと思うのですが。個人的な思い入れがあるので、20倍くらいと言ってもいいです。3年ぐらい前のクラリスワークスのワープロと較べても、日本語ができないことを除けばはるかに優っています。

[2005.1.6] WriteNowは不思議なことにOS Xのクラシック環境で使うとOS9よりも安定しています。クラシックで使っていてクラッシュしたことがありません。とはいえ、あまり使う機会もないのですが。[2005.1.6追加部分終了]

FoxBASE+もいいソフトでした。MacintoshのdBASE互換はこれだけだったので、他に選択肢もなかったのですが、とにかく好きでした。Viewウィンドウでファイルからファイルに線をドラッグしてリレーションを設定するインターフェースがよかったです。その後、Fox SoftwareはMicrosoftに買収され、FoxProが出ることになります。FoxProは未だに現役ですが、インストールディスクを壊してしまったので、今ハードディスクに入っているのは最初にインストールしたPB280からコピーしてきたもので、PowerPCネイティブではないのが悔やまれます。これも、まあ悪いソフトではないのですが、キャラクタレポートが無くなってしまったのは痛い。今なら、キャラクタレポートをちょちょっと改造して、すぐにWebパプリッシングとか出来そうなのですが、PB140にSystem 6.0.5でも入れて、FoxBASE+に戻ろうか。FoxProで好きなところもあります。プログラムジェネレータにほんの少しModula-2の匂いがするのです。でも、プログラムジェネレータを使うようなプログラムは作らないので、あまり関係ありませんね。

もう一つ忘れられないのがSmalltalk/V for Macintoshです。FoxBASE+で作ったデータをSmalltalkでGUIで検索するというようなことをやっていました。学生時代に卒論で作った「映像による植物図鑑」をSmalltalkに移植したようなものです。MVCモデルは今でも完全に理解しているとはいいがたいのですが、これを作ることでだいぶ勉強になりました。純粋なオブジェクト指向言語ではクラスライブラリが重要だということと、それを使いこなすのは大変だということも理解できました。何しろ、付属するマニュアルで一番厚いのがEncyclopedia of Classes、つまりクラスライブラリの解説で百科事典が作れてしまうわけですから。1993年頃までアップグレードをくり返していましたが、そのうちにDigitalk社がMacintoshのサポートを止めてしまい、そのDigitalk社もいつの間にか無くなってしまいました。古い機械を出してきて、Smalltalk/Vを復活させようかなどとも思っています。

プログラミングに少しでも興味を持つ者として、当然THINK Pascalは持っていました。Inside Macintoshも買いました。英語版だったので、少し苦労しましたが、一応使ってはいました。その頃まだMacJapanという技術評論社の月刊誌があり、藤本裕之氏と小池邦人氏のプログラミングに関する連載があり、これらのおかげで何とかデスクアクセサリを作ることが出来ました。一応完成して、実際に使ったのはカレンダーのDAとDvorakキーボードの配置を表示するDAぐらいです。アプリケーションを作るところまではいきませんでした。「映像による植物図鑑」は荷が重すぎたし、その他に自分で作りたい物もありませんでしたので、しょうがないですね。

ゲームは全く持っていなかったのですが、それに近い物ではMavis Beacon teaches typingという、「特打」の元祖のようなタイピング練習ソフトを持っていました。今、こうしてタッチタイプで打てるのも、このソフトのおかげです。最高で60wpmぐらいまで行ったこともありますが、左手中指を怪我してからは、そんなに速くは打てなくなりました。Dvorakも結構な所まで行きましたが、やはりQWERTYと同時に使っていると、どうしてもミスタイプが減らず、結局止めてしまいました。ローマ字入力だと母音子音が規則的に交互に出てくるので、Dvorakだと物凄く効率がいいはずなのですが。試しに今やってみたら(いつのバージョンからかは知りませんが、MacOSにはDvorak配列が標準でついてきます)、カ行が少し打ちにくいですね。なんで、JISはQWERTYなんかにしてしまったのでしょう。もともと日本にはキーボードの文化など無かったのだから、基礎になる配置なんて何でもよかったはずなのに。

大学教員時代

1996-現在

さて、1996年に日本に帰ってきてからも暫くはPB280がメインの機械でした。帰国後すぐにUltraDock16sceを手に入れて、LANにも繋がるようになりました。MicroDry (MD-2300s) プリンタも手に入れたので、写真のレタッチのためにカラーモニタも繋いでみました。Duo280でカラー、しかもデュアルモニタができて、感激しました。Macintosh IIの頃から、デュアルモニタの話は雑誌で読むばかりで、体験したことはなかったのです。Windowを2つのモニタの真ん中に置いて、「なるほど、半分カラーで半分モノクロで表示されるわい」と悦に入っていました。

1998年の始め頃、やはり時代はPowerPCに移ってしまい、これが無いと動かないソフトもぼちぼち出始めていたので、中古でPB2300cを買いました。これも約3年に1回買い足しの法則に適合します。しかし、これが間違いのもとで、PB280が機嫌を損ね、すぐに動かなくなってしまったのでした。従って、このPB2300cをメインの機械にせざるを得ず、長きに渡ったモノクロの世界から、ついに常時カラーの世界に移行したのでした。PB2300cはPowerPCとは言え、ビデオ回路の構造等から体感速度はPB280とそう変わりなく、200 g重くなってトラックパッドになり、画面が少し小さくなった分(ピクセル数は増えていますが)だけ使用感は劣るのですが、まあそうも言っておられず、だいぶこれのお世話になりました。私が汗かきなせいだと思うのですが、このPB2300cのトラックパッドは最悪で、日によってはポインタが全く動かせない事もあります。ティッシュペーパー1枚挟むと幾らかいい事もあります。

1999年の6月から1年間JICAの仕事でアルゼンティンに行ってきました。ここで使わせてもらったのがPBG3の1998モデルです。この画面の大きさにはびっくりしました。本体のでかさと重さもそうですが(でも、後で調べると重さはPB140と大して変わらないのですね)。この画面の大きさに慣れてしまうと、PB2300cではちと辛くなってきます。この頃から頻繁にMS Wordを使い始めたことも原因の一つなのですが。トラックパッドもだいぶよくなっていて、全く使えないのは年に何回かでした。PB2300cのほうにはスペイン語システムを入れ、MS Office98のスペイン語版を使ってみました。英語版もそうですが、ローマン言語版は軽くていいですね。それでも、PB2300cではやっとこさ動いていましたが。残念だったのは、Windows版のOffice2000にはスペイン語の文法チェッカーが付いてくるのですが、98のMac版だとスペルチェッカーしかないのです。Office2001でどうなっているのか、気になる所です。日本語版だと、英語以外の文法チェッカーは使えないようですが。

というわけで、2000年6月に帰国後すぐにPBG3の1999モデル(333 MHz/4GB)を手に入れます。2000モデルももう発売になっていましたが、SCSIの機器を多く持っていますので、1999モデルの方が都合がよかったのです。しかし、結局PCカードのFireWireアダプタを買ったり、DVD-ROMを入れたりしたので、2000モデルにSCSIカードの方がよかったのではないかと、内心後悔しています。

[2001年12月5日] まあ、後悔してはいるのですが、それも今は関係無くなってしまいました。実は、今のメイン環境はG4 CubeCinema Displayだからです。G4 Cubeは幸いなことに当たりの機械を手に入れたようで、一時問題になっていた電源スイッチは正常に作動しています。モールドラインはありますが、最初から全く気にしていません。Cinema Displayは素晴らしいです。色もきれいだし、何しろ、この大きさ。一度使うともう止められません。PBG3は家に仕事を持って帰る時とMD-2300sで印刷する時しか使わなくなってしまいました。しかし、それにしても、Cinema Displayの値段が半年でこうも下がると少し悲しくなります。何しろ、この半年の差額で新しいiBookが買えてしまうのです。

最近はOS Xをいつ入れようか悩んでいます。ハードディスクには十分余裕があるので、パーティションを切って入れるだけなのですが、全部のデータを一度退避させる必要があります。そうすると、DATのバックアップでもいいのですが、やはり時間がかかるので、外付けのハードディスクと言うことになります。どうせならFireWireのものがいいし、でも外付けからも起動できた方が便利かなとも思い、どのドライブにするか検討中です。

[2004年10月16日] もう1年半も前になりますが、PowerBookG4 17″ 1GHzを買いました。今のメインのモービルマシンはこれになっています。ただ、やはり大きいので移動中に使う必要がある時はまだPBG3が活躍しています。PBG3は一度画面がおかしくなって存続の危機に立たされたのですが、PBG4購入後、しばらく使っていなかったら寂しくなったのか、完全復活を果たし、もっぱらリージョン1のDVD鑑賞機およびOS9+SCSI周辺機器用として使用しています。G4Cube は完全にOS Xになっていますし、PBG4はOS Xでしか起動できません。また、今年の始めにはG4CubeのCPUを1.2GHzにアップグレードし、メモリも1GBに増設しました。これであと2年は使えることでしょう。

さらに最近Vaioを買いました。中古ですが。4年ほど前のモデルだと思います。マック以外のコンピュータを買うのは久しぶりです。フリーウェア専用機で、専らカシミールとOpenOffice.org、TNTliteを使っています。当然VirtualPCの出番はなくなりました。

[2006年8月25日] 最近、外付けのDVDドライブを買いました。Cubeのハードディスクが何となく不審な動きをしているようなので、データのバックアップをしておこうと思ったのです。一応、外付けのハードディスクにもバックアップはあるのですが、やはり多重化をしておきたいのと、デジタル一眼レフカメラの写真データが増えてきたので、バックアップ後に消してしまうつもりもありました。そうこうしているうちに、案の定、Cubeが起動しなくなってしまい、焦りまくりました。それでも、丸1日放置した後、再起動したところうまく起動してくれたので、やれやれです。何にせよ、バックアップがあるのは心強いです。6年近く使ったCubeですが、そろそろ新しい機械を視野に入れる必要があるかもしれません。世の中はIntel Macに変わってしまい、少々不安もありますが、来春Leopardが出る頃に新しいノートでも買いますか。1月のSan Franciscoで小型軽量の新型が出るのを期待します。


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2001年5月8日作成、2006年8月25日更新

國分 尚
hkokubun@faculty.chiba-u.jp