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イギリスファームイン
君津市貞元ワークショップ

街歩き>横浜

1.実施日・参加者
2010年8月3日午後2時~午後6時
高田瑞星、宮下佳奈、近江屋一朗、須川陽平、増田恵、大崎ひとみ、田中裕貴

2.まちあるき概要
横浜といえば、ランドマークタワーや赤レンガ倉庫など多くの観光名所がある。これらは横浜市中区にあり、みなとみらいや洋館なども区内に位置する。デートスポットとしても有名であり、横浜=おしゃれというイメージが多くの人に根付いていると思われる。一方で、同じ中区内には「黄金町」や「寿町」など遊郭として栄えた街や「ドヤ街」と呼ばれる街がある。これらは線路を挟んで、みなとみらいなどの「関内地区」に対して「関外地区」と呼ばれている地区である。本まちあるきでは、横浜市中区という多様な要素が詰まった街の中でも、普段なかなか足を運ばない関外地区について知ることを目的とする。

3.横浜概要
■黄金町
京浜急行電鉄黄金町駅付近一帯は、1945年の横浜大空襲で壊滅し、戦後は麻薬の密売所と非合法の特殊飲食店街に様変わりした。特に昭和20年代は、京急線の高架と並行する大岡川を境界に密売組織による縄張り争いが頻発に起こっており、警察官すら身の危険を感じて巡回出来ないくらい荒れていた。
特殊飲食店街は「ちょんの間」と呼ばれ1958年の売春防止法施行後も相当な規模で存在し続け、2000年頃までは約250店の規模でにぎわっていた。しかし、横浜市には2009年の「横浜開港150周年」に向けてまちのイメージアップを図る必要があった。そこで、2005年1月11日より「バイバイ作戦」と称し、警察による集中的な摘発が始まった。この結果、同年8月までに全店が閉店した。
■寿町
寿地区は、日雇い労働者が宿泊するための「ドヤ」という簡易宿泊所が100軒以上立ち並び「ドヤ街」と呼ばれ、東京都の山谷、大阪市の釜ヶ崎と並ぶ日本三大寄せ場の一つでもある。他の寄せ場との異なる特徴として「門限がない」「自室に入るまでの廊下では外履き」というルールがあったようだ。寿地区の歴史は、第二次世界大戦にさかのぼる。1955年まではアメリカ軍によって接収されていたが、日本返還後、在日韓国人が多く居住するようになり、この一帯の地主となった。現在の簡易宿泊所のオーナーのほとんどは在日韓国人である。さらに、1965年ごろからは暴力団が代等してきてこの街の支配を在日韓国人と二分することとなる。この暴力団が介入していたことで、無法地帯である寿町の秩序を守ってきたとも一部では言われている。近年では、自律支援施設やNPOによる炊き出しなどがおこなわれ、ホームレスの数もここ数年でかなり減っており、真冬の凍死者や餓死者の姿を目にすることも少なくなった。
※簡易宿泊所(ドヤ)ドヤとは3畳一間の簡易宿泊所(昔は日雇い労働者の人たちが出稼ぎの仕事を探すために寝泊りをした宿)の事である。ヤドに値しないほど劣悪な状況なので「ヤド」を逆さま読みし「ドヤ」と呼んでいる。最近では寿地区の高齢化により、車イスで利用できるトイレや介護入浴設備やエレベーターなどバリアフリー化された簡易宿泊所も増えている。
■横浜中華街
神奈川県横浜市中区山下町一帯に所在するチャイナタウン(中華街)で、以前は唐人町や南京町と呼ばれていた。華僑の出身地は広東省が比較的多いが、各地に分散している。上海路、中山路、福建路など、地名を冠した路地が交差しており、各路地には当地の出身者が多い。所在地である中区の中国人人口は6000人を超える。これは同区で登録されている外国人の約4割にあたる。約0.2平方キロのエリア内に500店以上の店舗があり、日本最大かつ東アジア最大の中華街となっている。日本では、神戸南京町や長崎新地中華街とともに三大中華街とされる。1866年(慶応2年)の横浜新田慰留地から数えると150年弱の歴史をもつことになるが、中華料理街として現在のような発展を始めたのは1955年(昭和30年)以降であり、それ以前はカフェが主であった。

4.感想
■高田瑞星
・桜木町駅をはさんでみなとみらい側にかなり多くの人の流れ、しかも若い人が流れて行くのに対して、反対側(野毛町辺り)は人の通りが少なくさびれた商店街になっていて、雰囲気が大きく異なっていた。
・今回周ったそれぞれのまちに特徴があり、色々な機能が集まって一つの横浜のまちを形成しているのだということを感じた。先生もおっしゃっていたが、横浜の港町としての歴史が様々な形で今も残っていて、それがそれぞれのまちの特徴をつくり上げているのだということを感じた。
・寿町の日雇い労働者のまちも、初めてみる世界だったので、横浜の光と影を十分実感することが出来た。しかし、それぞれのまちの中でそれぞれの世界が出来上がっているので、例えみなとみらいの方に人の流れが出来てしまっていても、うまく均衡がとれていて、今でも、そしてこれからもそれぞれが存続していけるのではないかと思った。
■宮下佳奈
横浜というと、とても華やかで都会的で、新しくて清潔なイメージがあった。今回は今までのイメージと異なった横浜の側面を見ることができた。
狭い小路にはいると、割と古い建物が並ぶ。小規模な古い商店が並び、下町のような雰囲気が感じられた。川の脇に押し込められたように風俗店が並んでいるところは、区画整備の影響が見える。各所に風俗店が集まるところがあったが、昼間であったからか人通りが少ない感じがした。さらに人通りの少ない高架下には絵や舞台が設置されており、芸術の普及に力を入れていることがうかがえる。このような事業に対しては賛否両論があるものと思われるが、自分としては横浜らしくて続けてほしいと思う面もある。しかし、華やかな横浜と下町的な横浜と、それぞれを活かす形にしてほしいと思う。

5.参考資料

6.写真